11月28日(火)


明け方、まっ暗な中で聴いたElliott smith.

https://youtu.be/NcalJSO6jDY


映画『グッドウィルハンティング』のカフェのシーンでほんの一瞬、ささやかに流れるこの曲を、雄二さんも好きと知ってから余計に好きになった。


雄二さんがいない朝や真夜中、ふいに孤独の陰がさしたとき、差し出された手のようにほんの少しだけ救いをくれる曲。





今朝はめぐとおばあちゃんが京都に出かけた。面と向かって、楽しんでおいでと言えない代わりに、旅のガイドブックに手紙とお昼ご飯代を封筒に入れて突っ込んでおいた。

昼前に、それに気づいためぐからメール。

もみじの写真を何枚か送ってくれた。

三代に渡り、つくづく下手くそな親子だ。親子について、家族についてというのは、全然理解できないけれど、そうやって償ったり償われたりしながら生きていくのがそれなのだろうな、とも思う。



空き時間、図書室に顔を出したらたくさん新しい本が入っていた。栗原はるみのレシピ本が何冊か入っていて、冬の料理をいくつかメモ。作りたいものがたくさん。雄二さんが好きそうなものを思い浮かべながら。冬、中川村にいるあいだは、できるだけたくさん温かい料理を作りたい、と思う。



雄二さんが忙しくて、疲れ果てているときはどうしても心がざわざわする。

何かしてあげたくて考えるけれど、できることは少ない。

疲れて言葉少なになるのは、自分だって同じのくせに、心配になったり気持ちをうかがったりしてしまう。


「早く、雄二さんがゆっくりできますように」

「早く、いつもの雄二さんが戻ってきますように」


離れて暮らすということは、かたちないものへの祈りに似ている。


離れた場所で、違う日々を過ごしながら、わたしは今日も祈っている。


祈っているから、いつでも、安心して生きていてね。


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